森昌子さんの子育てがひどいと言われていますが、本当にそうなのでしょうか?
もし、ひどい子育てだったら、今ごろ三兄弟はろくでもない人間になっているはずです。
現在、森内3兄弟は立派に独立している。
長男は超人気バンド「ONE OK ROCK」のボーカル。
次男は会社員。
三男はバンド「MY FIRST STORY」のボーカル。
今では素敵な大人の男性として活躍しています。
中居正広さん司会の番組「金スマ」で森昌子さんがゲスト出演して子育てのエピソードを告白。
長男TAKAさんが反抗期にした森昌子さんの言動や、TAKAさんの優しさあふれる行動とは?
森昌子さんがスパルタ子育てをした理由
その理由は、自分の子供には私みたいになってほしくないなって言うのが一番。
男ばっかりだったので一人で生きていけるようになってほしかった。
母としての思い出があったんですね。
独特な教育方法だった森昌子さん。
自分ではスパルタ教育だとは思ってなく、人に言われて気づいたそうですよ。
森昌子さんの子育てにかける情熱は半端ではなかった。
1985年の紅白歌合戦では史上2人目の司会&トリを務めた。
その人気絶頂だった翌年27歳の時、突然の結婚と子育てのために歌手活動を引退。
ちなみに結婚相手は歌手の森進一さんでした。
周囲の反対を押し切り専業主婦へ。
歌手のキャリアを投げうっての子育て。
森田昌子(本名)としての子育ては一生の仕事だと思ったみたいです。
およそ20年間、子育てを中心にした生活を毎日を送りました。
ちなみに森昌子さんは仕事のスケジュールの都合で次男の結婚式には出席いない。
森昌子さんのスパルタ子育てエピソード
「メシが食える男」にするための子育て法
痛みを覚えさせるためわざと転ばせる。
長男がまだ幼稚園に入る前、公園に連れて行った時のこと。
TAKAさんの行き先には大きな石が・・・。
すると昌子さんはハラハラドキドキしながら「ラッキー、絶対転ぶわね。転べと」願った。
そして、案の定TAKAさんは転び「やった、よし」と思った。
「立ちなさい。一人で立ちなさい」
助けには行かず、自分の足で立ち上がるまで待った。
ようやくTAKAさんに近づいてこう言葉をかけた。
「転んでよかったね。次からは気を付けようね。石のないところをちゃんと見て歩こうね」と。
そこで学ばせるんです。
親が一生懸命、危ないからといって石をどけてしまったら子供は何もそこで考えない。
いかに自分が経験をするのかが大切だと思った。
それ以来、一度痛い思いをしたTAKAさんは、きちんと気をつけて走ったり歩いたりするようになった。
ブランコ事件
次男が2歳のときブランコに乗っていました。
ベンチに座りながら見守っていた昌子さん。
これ以上、ブランコ漕ぐと前につんのめるなと思った。
案の定、次男は前に鉄の棒があって、そこに頭ぶつけて額を切っちゃった。
バーっと血が出て、すごい出血してる。
「痛かったって?」って言うと、痛い痛い痛いと泣いている。
「今度から、自分で調節して。あれ以上やると、転ぶと分かったからよかったね」って言った。
目上を敬える子にするため兄弟同士でも敬語
小学4年生のTAKAさんが漫画本を探していると、1つ下の次男が勝手に漫画を読んでいた。
TAKAさん「それ誰の漫画本だ!」
兄弟げんか勃発と思いきや・・・
「あ、すいませんでした。これ兄さんの漫画本です。少しだけ読ませてもらいました」と次男が。
森家では兄弟同士でも年上には敬語を使わせていた。
なぜ、そうさせたのか?
それは自分よりも年上の方に対しての話し方・接し方を見つけて欲しかったから。
本当に幼い頃から長男次男三男しっかりと敬語で話していたという。
敬語は社会出た時に必要最低限の礼節。
食事の時も年上を敬うことは徹底されていました。
長男が食べるのを待ってから、次男三男の順に箸をつける。
次男三男は横目でちらっとお兄ちゃんが箸を持つと順番に箸を手にした。
今も3兄弟は兄弟の間では敬語を使っている。
兄弟喧嘩にならないのは、長男の言うことが絶対だから。
森昌子さんは長男次男三男を1号2号3号と呼んでいたのはファンの間では有名な話。
好き嫌いをなくすため間食しなければ次の食事は抜き
子供の食事にはとても気に使ってたという。
食事を出す際こんな言葉を添えていた「出された物は全部食べてね」
出された物はお米一粒も残してはダメ、きちんと綺麗に食べなければならない。
完食しないと次の食事は抜き。
その狙いは?
社会に出た時を考えてのことだった。
例えば上司の方に「今夜○○を食べに行こう」と言われ「僕○○ダメなんです」って言ったらみっともない。
結構、あったんですよね。子供たちの嫌いなものが。
特に苦手なものを食べさせる時には工夫を凝らした。
ピーマンをこれでもかっていうくらい刻みオムレツに混ぜたり、ニンジンは形が分からないぐらいにすり潰し、味に慣れるようにした。
栄養を考え、給食のように1ヶ月の献立表を作成。
しかし、ここまで徹底していた、森昌子さんの方に実は大問題があった。
昌子さんは筋金入りの偏食家。
豚肉は食べれない、お刺身も食べれない、ナマモノはダメ。
人生でまだ唐揚げ、とんかつを食べたことがない。
最近は牛肉を食べれるようになったという。
食べられないものが多すぎて味見を一切していない。
適当に作ってました。笑
好き嫌いがあると息子たちに知られては示しがつかない。
そこで冷蔵庫の隅に隠れてパッとエプロンからおにぎりを出して食べていた。
18歳になったら自動的に家を出す
その理由には森昌子さんの生い立ちに理由があった。
昌子さんは一人っ子でとても可愛がれて育ちました。
祖父母に甘やかされてしまい、極端に引っ込み思案で人見知りの性格になってしまった。
だから、絶対に自分みたいになってほしくないと思ったそうです。
長男TAKAさん反抗期と優しさあふれる行動
子育ても十数年が過ぎ、息子達が思春期を迎えた頃ルールが作られた。
中学生は夜9時半までに必ず帰宅すること。
高校生になると門限は9時半から10時くらいの間。
ある日、門限を過ぎても帰ってこない長男TAKAさん。
数時間後、帰宅したTAKAさんに対し、昌子さんはかねてから決めていたことを実行。
お家のドア、窓のすべてに鍵をかけた。
「今日は外で反省しなさい」
ホームセキュリティスイッチオン。
一生懸命、子供なりに塀をつたって自分の部屋に入ろうかと考えるけど、残念なことに全部の部屋にセコムが。
時間厳守っていうのは仕事をする上で大切なこと最低限のルール。
その晩、TAKAさんは外で過ごしたらしい。
冬でも家に入れなかったのでしょうか?
反抗期に向かってくるTAKAさんに対して包丁を持ち出して応戦。
「お前を殺して、母さんも死ぬ」
TAKAさんに胸ぐらをつかまれた昌子さん。
「母さん、殴れるか? オマエ」
そうるすとTAKAさんは「ううううっ・・・」ってなってしまった。
そのすきに昌子さんはTAKAさんを平手打ち。
TAKAさんは「分かったよゴメン」と謝った。
TAKAさんの小学校受験合格発表の日。
結果は見事合格。
昌子さんはその番号を見つてウキウキウキウキ。
他が全部不合格だったこともあり、有頂天になった昌子さんはTAKAさんに早く伝えてあげたくて幼稚園へ向かった。
昌子さんはTAKAさんを見つけて、親指を突き出し、○サインを出し、受かったよってアピール。
すると、なぜか背を向けてしまったというTAKAさん。
そして幼稚園の帰りの挨拶が終わると、一目散に昌子さんの元にやってきた。
するとTAKAさんは「ねえ、ママちょっとこっちに来て」と言う。
お母さんを人目のつかない場所へ連れて行く。
「どうしたの?」って昌子さん言うと、
「ママ、あーゆーことするのやめてよ。
幼稚園の中には入りたい小学校に入れなかった子もいるんだよ」
昌子さんは6歳の子供に教えてもらったと反省。
ただ単に自分が嬉しいがために周りのことも見えずにとってしまった行動が恥ずかしかった。
そして自宅に戻り「本当にママが悪かったごめんなさい」と言って正座して謝りました。
「分かったからもういいよママ」とTAKAさん許しました。
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